聴覚の言語と視覚の言語

突然ですが、皆さんは、自分のこどもが耳が聞こえないことが分かったらどうしますか?全く異なる方針で聞こえないこどもたちが学ぶ学校が東京に2つあります。

両校のホームページを見ると、異なるアプローチを反映して、学習環境も先生方の資質も異なっていますが、共通していることがあります。

  • 日本の社会では珍しい環境を整備し、中学校までの少人数教育を実践していること。
  • 子どもが持っているもの(残存聴力、聴覚ではなく視覚情報を活かす力)を最大限に活かすという強い意思に基づいていること。
  • ネットで公開された映像の子どもたちが、生き生きと自分で考えて発言していること。

音声日本語を用いる聴者が多数派である社会に出たとき、どちらの卒業生も母校にいた時のようにコミュニケーションが上手く進むわけではないでしょう。そのことを十分承知の上で、その時に彼らを内側から支えてくれる言語能力と思考力を在学中にしっかり育てようという理念が、どちらの学校からも感じられます。

口話(音声言語の発話者の口の動きを読み取ること)と書記日本語で豊かな表現力・思考力を伸ばす人もいます。最近は音声を文字変換するアプリの精度も上がり普段の会話にも使えるようになってきていますので、「日本語はできるのに日常の雑談に取り残される」という悔しさも減らせるようになることを願っています。一方、日本手話を母語とする人たちは、音声から自由な価値観・問題意識・コミュニティを「ろう文化」と呼んで大切にしています。ろうであることをひとつの資質と捉えるのだと思います。どちらも可能な選択肢となって、ひとりひとりが成長の一歩として自分の言語と生き方を選んでいけるようになると良いと思います。

近年は「新生児聴覚スクリーニング」という検査で新生児の聴力を確認するようになりました。人工内耳や補聴器の可能性もあります。ただしそれらの機器は装着後も調整が必要で、合わない人もいます。言語能力の発達・こころの成長のために、こどもは出生直後からコミュニケーションを通した言語刺激を十分に受ける必要があります。

音声言語も手話言語も、基本となる小さな単位(例えば、音声言語では唇を閉じてパッと開いたときの呼気の変化[p]、手話言語では人差し指を立てた手の形)があって、その基本単位は意味を持たず、基本単位の組み合わせ(例:[p][a][i]、人差し指を立てた手を細かく横に振る)に意味が対応していて、その「意味と形のペア」をさらに組み合わせて文を作ります。そういう言語能力の基礎を、こどもは具体的な言語表現と出会う体験の中で見つけていきます。それぞれの状況に適した形で、少なくともひとつの言語に十分接する機会を作ってあげてください。聞こえない赤ちゃんには、補聴器などの調整を待たず、視覚を十分活かす言語刺激として手話言語と出会える環境を作ってあげてください。耳が聞こえない赤ちゃんもクーイング、バブリングと呼ばれる自発的な発声をしますが、周囲の人の発音と聞き比べることが大切ですので、補聴器を使用する場合もこの時期を活かしてください。
手話の説明

こどもは、日常生活のことばができるようになったら、今度はことばを使って学び、ことばを使って考えを深めていきます。それぞれの時期に適した複雑さ・抽象度を持つ言語表現に出会って、自分でも使ってみる中で、こどもの言語能力はその人格を内側から支える力になっていきます。適切な刺激があれば、模倣に留まらず本質を的確に取り込んで言語能力につなげる力を、人間のこどもは教えられなくても持っています。言語能力が育つ適切な刺激に満ちた環境を整えることが、聴覚の如何に関わらず全てのこどもに対して、おとなが果たすべき責任です。日本ろうわ学校や明晴学園に、その責任の担い方の例を見ることができます。(この2校以外の聾教育については、脇中起余子『「9歳の壁」を超えるために』(北大路書房)に具体的な試みや知見が紹介されています。私たちひとりひとりの精神的成長を振り返り、これからの教育を考えることを促す重要な見識が含まれています。)

手話言語を理解するには、手話を母語とする人たちの発話空間に出会うのが一番です。それに近い体験ができる学習環境がネットにも生まれています。

コミュニケーション専攻の新設科目「言語の多様性と普遍性」、今年度は前期に世界の音声言語、後期に日本手話を取り上げます。

川崎典子

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