大学の"日常"

「この時間に外に出られたら、街ではどんな生活が送られているのだろう...」小学校の授業中に窓の外を見ながら、よくぼーっと考えていたものだ。

もちろん休日には学校も無く、家族とテレビを点けながら昼ご飯を食べたり、友だちと自転車で隣町の公園や駄菓子屋に行ったりと、自由な時間を過ごすことはできた。それでも、自分たち児童が校内で制限された平日の昼間に校外で織りなされる"日常"に、子どもながらに不思議な魅力を感じていた。

窓からの景色.jpg

そして、そのような子ども時代に憧れた"失われた日常"にあらためて気付き、それを謳歌することができるのが大学時代であろう。

構内_秋
撮影:藤原侑実
構内_冬
撮影:藤原侑実

大学では、高校までとは異なり、学生1人1人が自分で決めた生活スタイルに沿って、自らの生活を主体的に選択し、自分好みの生活を送ることが可能になる。そのような生活の中で、街に居る人たちの顔ぶれや会話、生活スタイルが曜日や時間帯によって全く異なることに気付かされるであろうし、大学構内の表情も曜日・時限に応じて目まぐるしく移り変わることを実感するであろう。授業も、大学では科目ごとに様々な学生が入れ替わることで、互いに新たな刺激を与え合いながら、有機的な時間を過ごすことになる。

このような生き物のような大学という場の特徴をあらためて鑑みたときに、学生1人1人が自分の個性を深め成長し合える場を自分は十分に提供することができているだろうか...という疑念を感じざるを得ないことに気付かされる。

大学生として身に付けて欲しいこと(常に自身の感覚や経験に照らして自らの頭で考えること、自らの行動が周囲や社会に与える影響を考えること etc.)を教育しなければという意識を持つあまり、子どもの頃から憧れていた"日常性"を失わせ、大学でも固定的な「学校の教室」を作ってしまっているかもしれない。学生の成長を押し付ける時代遅れな教育を施すのではなく、肩の力を抜いて、個性豊かな学生たちが自分たちの"日常"を自然と織り成していけるような支援をすることで、結果として学生は立派な大人へと成長するのかもしれない。

「ゼミって難しいなぁ...」。恥ずかしながら未だに毎学期感じることであるが、この感覚は個性ある学生と関わり続ける以上は完全に消えることはないのであろう。自分の未熟さと小ささを感じながら成長を志す昭和気質も根本的には変わらないのであろうが、常に新しい課題と学びを与えてくれる学生に感謝しながら、たどたどしい歩みの中で、先輩学生と過ごした日常を後輩学生との日常の中で還元していこうと思う。

夕暮れの街並み.jpg

福島 慎太郎

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